木村久太郎(きむらきゅうたろう)
1867(慶応2)年―1936(昭和11)年。
鳥取県境港出身で、日本の産金王と言われ、木村商事、太平洋炭鉱株式会社を設立した。30歳で台湾に渡り、鉄道改良工事にあたるほか金山・建設・造船・炭鉱事業を手がけた。
別府遊園地は木村が開発した。1903(明治36)年に一帯の土地を買収して、金鉱の採掘を実施した。しかし、温泉の噴気に悩まされ、1916(大正)5年には操業を中止した。そこで、1923(大正)12年、採鉱技師である山崎権市が来別し、温泉源を避けて試掘を行い、「わんかけの金」と呼ばれる最良質の金鉱脈を掘り当てた。
ところが、1923(大正12)年、関東大震災が発生し、東京に本社を置く木村の会社は莫大な被害を受けた。その影響により経営資金が枯渇し、同じ頃、別府では地域住民からは温泉脈に悪影響が出始めたと報告を受け、採鉱中止を申し込まれたのである。
そこで、鉱山の開発を中止し、遊園地開発へ方向転換を行った。1929(昭和4)年にケーブルカー、翌1930(昭和5)年に別府遊園地を開業した。