その後、大分市で野暮用をすまし、15時にアホロートルで、黒豆ココアを飲んだ。これが記念の88店目となった。確認者は、小学校の1年生。自作自演なので、物静かな別府八湯美食道初代名人となった。手記は、その内、書きたいと思う。
その際、別府の旅館の食事内容の話となった。昔のヒトは、旅館に宿泊した際、何を食べたのか、ということである。そう言えば、こうした発想はほとんど無かった。
昔の別府は湯治場であり、庶民の立場では、食事に名物は無かったと思われる。その後、歓楽化が進んだ訳だが、その際も、「酒と女」があれば、食事なんて…、という感じだったかもしれない。そんな訳で、これからは、明治・大正・昭和初期の温泉旅館の食事内容に注目したいと思う。