松本勝太郎(まつもとかつたろう)
1874(明治7)年4月13日-1959(昭和34)年2月2日。84歳で死去。
鶴見園は、広島県呉出身の松本勝太郎(松本商会、のちの松本組・土木建設鉱山会社)が1926(大正15)年2月15日に開業した。鉄道工事で来別した彼は、石垣村で土地約4.1万坪を買収し、1924(大正13)年に起工、1925年12月に竣工したのである。工費は50万円で、園内にはテニスコ―トー、温泉プール、劇場などがあり、兵庫県宝塚劇場を真似た少女歌劇団が人気となった。彼は全国屈指の土建会社を経営し、台湾で頭角を現し、京城で鉄道工事を手広く行って、巨万の富を築いた。1923(大正12)年、広島瓦斯電軌社長、1926(大正14)年からは貴族院議員、1935(昭和10)年、呉市長としても活躍した。
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